creconte’s blog

映画感想多め。本・マンガ・ドラマetc.扱う予定。歴史・政治・社会・サスペンス・アングラ・官能等

THE OSHIMA GANG(2010)

映画監督大島渚の関係者へのインタビューをドラマ仕立てにした、半ドキュメンタリー作品。

下記、ネタバレ注意(?)

 

大島渚は毀誉褒貶相半ばする監督で、たぶんまだ作品は直接は見たことがない。

が、無論興味はあるので知識の仕込みとして良かろうとチョイス。

「オオシマギャング」は、無論、大島監督作品の制作に直接関与した人々を指す。

大島監督の妻で女優の小山明子が、インタビューでは大きな比重を占めている。

当時、大島は既に介護を必要とする状況だったらしく、その時の大島自身は作品には出演していない。

 

大島と松竹との関係に重心が置かれた描写ゆえに、大島作品や大島自身の思想というものが浮かび上がる内容となっている。

また、時代状況(学生運動浅沼稲次郎刺殺事件)との抜き差しならぬ対決が存在していた。

大島映画そのものに興味が湧いたのは言うまでもないが、このような背景知識を知ったうえで見るのと見ないのとでは、観方に大きな相違が出てくるはずだ。

良かれ悪しかれ、だが。

 

「インタビュアーとカメラマン2人は、大島ファンゆえにこのドキュメンタリーを撮影しようとしたが、撮影を進める中で、だんだん言動がおかしくなって、事件を起こしてしまう」という設定。

「ドキュメンタリー撮影をドラマ化」に似た型式の作品は、前にも1つ見たことがあった。

もしかしたらそれを指し示す映画用語もあるのかもしれないが、詳しく知らない。

 

連合赤軍山岳ベース事件を扱った「光の雨」だ。

「山岳ベースの映画制作」自体をドラマ仕立てにしている。

学生時代に見て、「随分おかしな撮影の仕方の作品だ」と感じ、面白くもなければ、理解も出来なかった。

が、「撮影者自身を被対象化」するという入れ子構造にすることで、「単純回想、単純トリビュート」になることを敢えて避けたいのだ、という意図は、今なら何となく伝わってくる。

制作陣自身も、「対象や対象事件の異常性」や、それら対象に対する思い入れや執着、あるいは愛というものを突き放して描きたい、との意図があるのだと差当り理解している。

 

もう一つ、派生して想起したのは、ホラー映画でヒットした「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(2000)。自分では見ていない。

「モキュメンタリー」の一環である「ファウンド・フッテージ」という手法を用いているという。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト - Wikipedia

モキュメンタリー - Wikipedia

ファウンド・フッテージ - Wikipedia

 

映画史と、映画の撮影手法について理解と知識が深まる1作だった。