1960年代の米黒人運動政党ブラック・パンサー党の若き創設者フレッド・ハンプトンを、「裏切者」(FBI情報提供者)ビル・オニールを主人公に描いた物語。
恥ずべきことにというべきだろうが、筆者は米公民権運動の歴史の詳細に立ち入ったことはほぼなく、ブラック・パンサーやフレッド・ハンプトンの存在も初めて知った。
マルコムXの映画(1992,デンゼル・ワシントン主演)は学生時代に見たが、当時は黒人運動全体の空気感というものが掴めていなかったと思う。
最近は、現代音楽のヒストリーに興味を持つことがあって、若干情報を仕込みつつある段階。
特に近年は、多様性をめぐる米国内の社会状況の変動により、「見えないようにされていた」差別と反差別の動向が可視化された印象がある。
面白いというよりは、すごく勉強になったというのが率直な感想。
・意外なことに(というより当然なのだろうが)ファノン(フランツ・ファノン)の名が出てきた。筆者も過去に何度か参照しようとしたが馴染めなかったのがファノン「黒い皮膚・白い仮面」。
「当事者性」がない・持てなかったということが一つと、自分自身の「マジョリティ」性(日本に住む、日系日本人男性であること)に由来していたのではないかと思い当たった。
・「虹の連合」という、近年のムーブメントの直接の淵源になるタームが現れた。
実際に、ブラック・パンサー党も、社会内の様々な勢力との連帯を行っている。
・社会主義と地続きの運動の中で、予定される投獄で妊娠中の妻デボラを案ずるハンプトンに対し、「党が守ってくれる」といういわば「コミューン」の運営がなされているのが印象的だった。
・ハンプトンの逃亡先を党内で議論されるシーンでも、キューバ、アルジェリアといった地域が「ボーダーレス」な空間として挙げられていた。
筆者は幸か不幸か、米国内で生活した経験はなく、有色人種ということで差別された経験を持たず、各種伝聞として知るだけだ(ただ昔、パリ旅行で小さな書店に立ち寄った際、立ち読みしている間、書店主にじっと監視されていたのが、不快というか違和感のある思い出として残っている)。
日本では、「ブラック企業」という言葉で、不法・差別的な企業やそのあり方が告発されるようになったが、その「ブラック」という用法自体も問題があるのだが、それすらなかなかピンとこないのが、日本人・日本社会の現状なのだ。