creconte’s blog

映画感想多め。本・マンガ・ドラマetc.扱う予定。歴史・政治・社会・サスペンス・アングラ・官能等

ピープル vs.ジョージ・ルーカス(2010)

ルーカスと、ルーカスの築いた(主にスターウォーズの)物語世界のファンダム(ファンの王国)の関係性を描いたドキュメンタリー。(以下、スターウォーズはSWと略記)

本作のことは、本に出ていて知った。

自分は、ルーカスにもSWにも特段の思い入れはない。インディ・ジョーンズも含めて、子ども時代にチラと観たぐらいで、ハマるどころか基礎知識もないレベルのニュートラル(?)さ。

観ている時は結構色んなことを考えたが、結末は「色々言ってるけど、皆憎しみも含めてルーカスと彼の作る世界が好きなんじゃん」で終わった感もある。

 

それで終わってしまってはつまらないので、まずは箇条書き式に感想を整理してみる。

観ている最中は、あまり纏まらなかったのだ。

・第一に、自分個人は、(本作に登場するSWファンのような)ヲタク的心象や行動特性はない。人が作った作品の世界観や世界線にどっぷりハマり込んで、グッズを買い込んだり、2次創作を行うなどといった習慣とは無縁。

・「ルーカスが新3部作に失敗したのか、旧3部作ファンが老害化して増長したのか」は決定不能の議論でしかない。

 旧3部作は革命的作品群だったため、当時のファンが「原理主義」者になったと見ることはできる。

 反対に、ルーカスは革命家だったが、老いては専制君主に転じたと見ることも出来る。

・日本にも現在各種ファンダムは存在するが、米国のSWレベルの規模感のものは思いつかない。

 日本では、「漫画原作のアニメ化・実写化」がある場合、「作品世界をいかに壊さず忠実に再現出来るか」に心が砕かれる場合が多い。その点では、ファンダム重視の制作姿勢が見られると言ってもいい面はあるだろう。

(今ちょうど日本では、ドラマ化をめぐってのマンガ原作者自殺というショッキングな結末で騒動になっているが、これはファンダムではなく、テレビ局vs.原作者なので構図は異なる)

 

「作品の制作過程・方法の変質」「作品が完結せずシリーズ化しており、時間がかなり経過してから新3部が作られたこと」が主な争点となり、「SWは(旧3部作)ファンのものか、ルーカスのものか?」という一大論争が勃発した訳だ。

結論は、「作品はルーカスのものだし、新3部が駄作だとしても、その論争を含めて旧来のファンはSWとルーカスを愛している」と纏めて良いだろう。

 

ルーカスの特色は、旧3部作では、ファンに、「SWは自分たちのものだ」との幻想を決定的に植え付けるのに成功したことで、そこに革命性があった。

ただ彼らの「幻想」への執着・信仰があまりに強固に成長し過ぎ、制御不可能な程まで暴走するに至った。

こうした構図に見える。

 

自分の場合、SWのファンではないので、作品の出来不出来とは別に、制作者としてビジネスマンとして、ルーカスの「自分の作品は自分で管理したい」というスタンスには(少々官僚的で面白みには欠けるものの)一貫性を感じる。

「嫌なら見なければ良いじゃん」で終わりで、入退場は自由の筈だ。

降りないのは、ファンの自主判断だ。

 

クリエイターが、老いてその創造性が枯渇したり変質する事も、珍しいことではない。

ルーカスがそうとも一概に言い切れず、ただ旧ファンが原理主義化しているとも言える。

「人が作った夢の中」に変わらず居続けるのは幸せなこと、か。