高校生以来で村上春樹を繙く(但しジャズ書のみw)
珍しく、というか初めて音楽の話。
というのも、音楽には別に詳しくないせいなのだが。
と言って、「音楽嫌い」というのではなく、大人になってからは、元々優先順位の低いところに持ってきて、サブスク時代に入り、「聴き方」がわからなくなっていた、というのが正直なところ。
ただ、最近は自らの「音楽的ルーツ」を掘り起こせる、掘り起こすべきだということに気づいて、試みているところ。
それについては、いずれ詳しく述べることもあるかもしれない。
ジャズも「ジャズ好き」から入っているわけでもない。
「ジャズの歴史」をディグる、という時に思いついたのが、村上春樹だった。
村上がジャズ好きで、翻訳など何冊かものしているのを思い出したのだ。
自分は村上に限らず、小説というものをほぼ読まない。
「5年に1冊」程度と言えるだろう。笑
これは明確に言えるが、「小説嫌い」、はっきり言えば「反文学」主義だからである。
逸れるので、それについては今回は深く触れないが。
最近は、気持ちの余裕が出てきて、「小説もたまにはいいかな」に転じつつある。
しかし、高校の時は、割とまだそこまで「小説嫌い」は明確でもなかった。
村上春樹は高校の時は好きで、ちょろちょろ読んでいた覚えがある。
「ノルウェイの森」とか、「ねじまき鳥クロニクル」とか。
対談の「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」も好きだった覚えがある。
特に、「翻訳夜話」はそれ以降も愛読書で、今なお村上×柴田の「翻訳思想」には絶大な影響を受けたと言っても過言ではない。
が、小説を読んでた時代はそれきりで、翻訳も村上の翻訳作品そのものは読むことは特になかった。「文芸翻訳」メインなので当然ではあるのだが。
村上は、それ以降は打って変わって「嫌い」へと反転した。
文体を含め、「厨二病」臭が耐え難いものになったのである。
「翻訳夜話」も1のみで、2「サリンジャー戦記」は全くハマらなかった。
サリンジャー自体が、村上の「精神的双子」に見えて、とても読もうとはならなかったためである。
村上のジャズ書とは、「ポートレイト・イン・ジャズ」(和田誠との共著。デザイナーの和田がミュージシャンの絵を描き、村上が文を寄せた独特のジャズ名鑑)、「さよならバードランド」「ジャズ・アネクドーツ」(ビル・クロウの翻訳)。
「ジャズ史の入り」としては持ってこいと言えるだろう。
「村上春樹の再入門」には、別にならないだろう。笑
「嫌じゃないし、思ったより読みやすいじゃん」とは感じたのだけど。