6月から約4ヶ月間かけて、大河ドラマ1本を観了。
昔見て、妙に印象強く残っており、なおかつ「応仁の乱」を描いたドラマであることに強く惹かれ、思い切って時間を投下したのである。
「いや、面白く分かりやすく脚色し過ぎだろ」というツッコミは何回もしたものの、まあ「NHK大河らしい」ドラマで、文句なしの面白さだったと言えるだろう。
箇条書き的に、感想を整理していこう。
(なお興味を持ちながら、史実は特に確かめてない。呉座雄一「応仁の乱」すら読んでないレベル)
・幕臣と守護大名連の、分かりやすく魅力的なキャラクターの描かれ方。
細川勝元、山名宗全、大内義弘などの「骨太さ」が伝わってくる。
自分は主に頭脳鋭敏な「勝元推し」で見ていたが、ライバル(と言っても元は婿舅の懇意な間柄だった)である宗全も、根っからの武人で魅力溢れる漢であった。
・足利将軍家、また畠山家の込み入ったお家騒動、山城国一揆といった、言わば「都市騒擾」発の「地方内乱」を、巧妙に整理して描いている。
義視の陰影ある人物性は、まさに佐野史郎がハマり役だった。
・このドラマを通じて、「義政」像が、かなり更新された。
もっと「無能で遊興にふける」将軍を思い描いていたが、そうでもなく、言わば「(フランス革命前の)ルイ16世」を想起させる存在だった。
決して「無能・無為の一辺倒」というのではなく、将軍らしい政治眼はあったものの、自ら作り出してしまった「後継争い」と、収拾不能となっていく幕府内内訌に押し流され、最後は「文化と趣味の世界」に走らざるを得なくなった、という苦悩がよく描かれていた。
日本史の授業で、「銀閣(慈照寺観音堂)は、金閣に倣い、本当に銀箔を貼る構想だった」と語られていた。ドラマ上もそのような設定だった。
実際のところはどうだったのか、非常に気になるところだ。
乱と乱後の混乱はっきり横目にしながら、寺社造営に耽ろうとする姿は、「これぞ義政」と感じざるを得ないが。
市川團十郎(先代12代目、現13代の父)の義政のおかげで、舞などに見応えがある。
・若き松たか子(富子の娘時代)、松岡昌宏(成人した義尚)が出演。
ネタバレは避けるが、富子と義政が結ばれる過程というのは、「無慈悲」過ぎた。
・一休宗純が非常な重要人物として登場し、奥田瑛二が「怪演」。
富子と富子の「分身」(森女、森侍者。壇ふみ演)の生い立ちと人生全体に深く関わっている。
歴史上もそうだが、謎めいた魅力的な人物。
・「国人」という存在もまた、伊吹三郎(役所広司)という人物や椿の荘をめぐる環境を通じて、非常に分かりやすく描かれていた。
その「潰え」も含めて。
「国人」というと、毛利元就のイメージもあり、さらに興味が湧いた。
・日野富子は、かつて「悪女」に数えられる人物だった。
ドラマ上だけでなく、史実としても「金銭にガメツイ」、むしろ近世的資本主義の走りを思わせる女性だったらしい。
個人的見解だが、「悪女」には明確な条件があり、それは「母親の欲目で、子を押し潰してしまう」女がそれである。
尤も、その場合、「彼女個人は強い女性」ということは言えるのだが。
この場合、「子を食い潰しても、彼女自身が強く生きる」ことは、「一般に正義」と見なされない、というバイアスが前提にあるのは興味深いが。
・「晩期足利家」の内実の一端が、最後に描かれる。
普通、日本史上では「名前しか出てこない」、義材(よしき。10代将軍、義視の子)、義澄(ドラマ内では義遐よしとお。11代将軍、堀越公方家出身)などが登場する。
・改めて重要なポイントだが、足利幕府というのは、「京の武家政権」であるということ。
だから将軍家と言っても、自ずと「公家」然として華美で風雅な生活に流れていく。
また、応仁の乱というのは、「京都内市街戦」として戦われた、ということである。
これは幕府の開祖尊氏のアイデンティティでもあるのだが。
「軍事史」としての振り返りの観点で見ても、面白いのである。
・少し時代が降るのだが、「天文法華の乱」は、誰か歴史小説か、創価学会辺りでもいいから笑、ぜひ映画化・ドラマ化して欲しいと、前から思っている。
なぜその頃、法華宗が力を持つことになったのか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義材