(ネタバレ注意)
山田かまちを題材にした映画。
山田かまち(1960-77)は、17才でエレキギターで感電死した若者。
そんなまとめ方は少々不謹慎かもしれない。死後、その若き詩才・画才が注目された。
自分はかまちの名は知っていたが、作品などは見たことがない。一度聴いたら忘れられない名なので、覚えていただけに過ぎない。
最初は、「かまちを主人公にした青春映画」かと思っていたら、それを突き放した視点から見る「入れ子映画」だった(この手の制作手法はよく見るが、それを表すタームを知らないので自作)。
「かまちが恋した少女」が、長じて塾講師になり、彼女と「(当時の)ナウ」の目線から、かまちが追想される。
かまちが興味深かったのは、「田舎の秀才(のなり損ない)」で、「高校受験失敗組で、高校浪人」という身分が、彼の詩作の出発点になっていたこと。
「みずみずしい感性」(は無論含んではいると思うが)でも「鬱屈した感情」でもなく。かわいらしさ・おかしさの漂う、長じたら「(サブカル文化人系)マルチタレント」になっていたのかもしれない。
寺山修司・大槻ケンヂ・みうらじゅん…挙げてみたどれにも当てはまらないが。
あるいは、「若さ故の(そして夭逝という悲劇的死故の)才の注目」に過ぎないのかもしれないが。
かまちの恋した洋子は、塾講師になって、中学生たちを教えていた。
21世紀初頭の、平成不況下の子どもの置かれた「閉塞感」のようなものが描かれていたのだが、それに何か「懐かしい」ような「けだるい」感覚を抱いたのを認めねばなるまい。
「失われた30年」はダテではない。
社会に漂う「閉塞感」や、若者の抱いてきた「苦悩」は一様ではなかったのを想起した。
出てきた子曰く、「親は何で俺を産んだんだよ。何で人を殺しちゃいけないの?自殺しちゃいけないの?援交しちゃいけないの?いじめちゃいけないの?」
当然だが、悩み(?)が「ふた昔前」だ。その頃はそうした抽象的な(?)悩みが流行りだったのだ。
何というのか、「閉塞感の行き先」が、「甘っちょろいな」と感じる部分があった。
今の若者の方が、「親ガチャ」、貧困、各種(社会的)暴力と傷・トラウマなど、既に(外部環境から余儀なく受ける)マイナス部分に対する直接の苦悩に晒されていると言えると感じたのである。
21世紀初頭も、不況の深まりはあった筈だが、平成は中盤の「ユルい退廃」の名残が残っていたわけだ。
作中には、「ハルシオン」という当時の若者に流行った「ドラッグもどき」が出てくる(余談だが、現在も「トー横キッズ」などの「酩酊」で注目された、市販の「向精神薬割飲み」というのは、この頃に起源があるという)。
作中の終盤で、かまちの詠んだ詩を、ラップ混じりのバンドが歌うシーンが締めくくりなのだが、それが確かにハマっていた。
思うにかまちは、「(受験戦争に象徴される)社会的抑圧の中で、感性の鈍麻せられる若者」を、既に敏感に反映した側面があったのだと思う。
もし彼が長じて音楽をやっていた場合、「ブルーハーツの先駆け」的ポジションを担ったのかもしれない。そこは専門外なので何とも言えないところだが。