(原題は「The Iron Lady」)
前々から気になっていた作品で、ようやくこなせた。
サッチャーは、「レーガン、サッチャー、中曽根」の一角を占め、「小さな政府」を強力に推し進めた、文字通り「鉄の女」という程度の高校世界史以上の知識から進んでなかった。
(というより、見ながら、「学生時代は、歴史の中では、特に戦後ヨーロッパ史は、敢えて学ぶべきものはない、と捨象していたな」と思い出していた)
英国自体は、日本にとっても歴史的に関係が非常に深い国だ。
(外交上も、皇室との関係で、日本外務省では未だに駐英大使がトップに位置付けられいる)
個人的にも親近感が深く、コロナ禍勃発のちょうど前年のヨーロッパ旅行でも、僅か1泊だがロンドンに滞在した思い出がある。
そこでも「物価の高さ」は印象に残っていた。
本映画の構成がやや独特で面白くて、既にとっくに引退して老境で認知症がかっているサッチャーが、亡夫デニスの幻に絶えず悩まされつつも、遺品整理しつつ政治と人生を回顧する、という流れになっている。
彼女の決然と道を切り拓いていく姿と、また同時に孤独とを、メリル・ストリープが演じ切っている。
自分はこの映画を通じて、「現代の英国政治史」を観察していた。
おっさんたちに取り巻かれている中で、自ら道を切り拓き、11年半も首相(しかも西欧発の女性首相)の座に座ったサッチャー。
英国は、島国という点でもよく日本と比較される。
サッチャーの個性と、彼女の推し進めた改革の流れの、共通点と相違点を、興味深く、また時に苦々しく見詰めていた。
サッチャーは、国民の反対や対立を顧みず、歳出削減、炭鉱閉鎖、税負担増などを強硬に推し進め、失業率は高まり、ローン破産者は急増し、格差は拡大した。
しかし片方で、アルゼンチンとのフォークランド紛争には勝利を収め、彼女の人気は高まり、また景気も向上することになった。
中曽根在世時のことは知らないが、自分にはかつての小泉首相の像に非常に重なる部分があった。
もっとも、小泉首相は改革に対する国民の圧倒的支持があった訳だが。
近年の英国政治は、ブレグジットの混乱で「近代民主主義の発祥国でありながら、全く民主主義の機能してない国」と、そもそも良いイメージがない。
当時、テレビでインタビューに答えていた英国有権者の女性が、「(決められない政治が)本当に恥ずかしいわ」と答えていた姿が、今でも強く記憶に刻まれている。
(今はインド系のスナク首相が誕生していて、その多様性と包容力に若干の尊敬と羨望を感じもするのだが)
また少し遡ってイラク戦争でも、「忠実な米国の同盟国」であって純然たる「米国の走狗」のイメージが染み付いている。(それも日本と同じだ。「役割」が違うだけで)
それから、ダイアナ-チャールズこの方の英国王室スキャンダル。
もっとも、皇室スキャンダルは、日本も次第に英国の後追いをしている、と見ることも出来るかもだが。笑 余談はさておき…
自分自身とまではいかなくとも、兄弟を見ているような、同族嫌悪と親近感とを、両方感じずにはいられない、何とも複雑な感情に支配されていた。
ロンドンの中心街のある一角を歩き、地下鉄に乗った時は、東京と全く変わらない光景に驚いた覚えもある。
違う国の、全然別の歴史を持ってるから、文化面も含めて、当然、相違点は挙げればいくらでも挙げられる。
が、例えば米国、あるいは独仏などと比しても、その相違点への違和感よりは、共通点や類似点に呑み込まれてしまうのだ。
これは、米国に対する感覚とはまた別個の独特のものだ。
漱石と日英同盟この方、距離こそ遠けれ、あまりにも心理的に近過ぎ、既に客観的な距離を持って見られないのかもしれない。
まあこれは、こちらの一方的な接近と投影に過ぎないのだけれど。
図らずも、「英国の文化的・心理的侵蝕」を思い知らされた作品となった。